昨日のブログで高橋真琴先生の戦争体験をチラッと書きましたが、
わたしの人生で戦争体験を生で聞いたことはたった一度しかなくて…
その一度の経験のお話です!
力自慢で陽キャな祖父も、この時は病気で体力が無くなって気が弱くなったのか、
人生で経験した怖かった話として戦争体験を教えてくれました。
元気な時はこんな話してくれなかったんだけどなぁ。
人生で経験した怖かった話として戦争体験を教えてくれました。
元気な時はこんな話してくれなかったんだけどなぁ。
祖父は疎開していたので、命をかけた現場にいたと言うワケではないですが、
それでも充分怖かったんだろうなぁ。
山の向こうで空爆が起きている…向こうの人たちは大丈夫なのか?この空爆は自分たちの方まで来るか?
などなど、怖い気持ちだったと思います。
よっぽど衝撃的な体験だったのか、何度も何度も、山の向こうの空が真っ赤で山の形がくっきり見えたんだと言う話を繰り返し伝えてくれました。
この話を聞いた時に、この時祖父の両親はどうしていたのかとか、食料は充分あったのかとか…本当は深掘りして話を聞きたかったのだけど、
祖父は自分のペースで話してくれたのだろうから、深掘りして追い込んじゃダメだなと思って深掘りできませんでした。
そんな祖父も旅立ってしまったけど、いまだに「あの時もうちょっと深掘りして聞きたかったなぁ」と言う気持ちになります。
皆さんは身近な人から戦争体験を聞いたことがありますか?
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コメント
コメント一覧 (31)
学校の校庭に防空壕を作るため、学生全員で資材の丸太を隣街から運んだこと、空襲の際、防空壕に溜まった雨水に腰まで浸かり、長い一夜を過ごしたことなど。。
毎回同じ内容なのですが、それだけ伝えたい気持ちが強いのかなと思い、毎回初めて聞くていで聞いています。
carly
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私は戦争を体験した方から直接話を聞いた事がないですが、知ろうとする事が大切なのかなと思ってます。
carly
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直接祖父から聞いたりはしてないのですが、戦争を経験した事で、死別はいつでもありえる、と考えるようになったようです。
祖父は朝、出かける家族を見送る時は、必ず姿が見えなくなるまで目を離しませんでした。
carly
がしました
家族にも体験談はほとんど話さなかったみたいですが、幼い私と祖父だけの時にテレビでシベリア抑留の番組を見ていて、静かに涙を流していたのを鮮明に覚えています。
いろいろ聞きたかったけど、幼いあの頃は聞けなかったなぁ。
carly
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carly
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神田に住んでいた祖母は3/11の大空襲のとき、当時身重だった曾祖母とまだ小さかった4人の弟妹を連れて必死で逃げたんだと話してくれました。
幸いにも家は焼けたものの、家族が亡くなることはなかったのですが、空襲の話や、終戦直後に弟と共に結核を患ったこと、治療で肋骨をいくつか取ったこと、お嬢さん育ちだったけれど子供二人の結核治療に大金を使った結果7人兄妹の中唯一祖母だけが盛大な結婚式はできずに質素に済ませたことなどを聞きました。
母方の祖父は南方に出征して復員できたのですがケガの後遺症があったこと、出征期間が国が定めた基準に一か月足らず軍人恩給が貰えず、ケガの後遺症の影響で働いても家族で食べていくのがやっとの給料しか稼げず苦労したことを亡くなった後に母から聞かされました。
私には優しく面白い祖父でしたが戦争体験を口にすることは一度もなかったです。
子供三人全員を中卒で働かせなければならなかったことや娘たちの嫁入り道具なども用意できなかったことを悔やんでいたようで、せめて恩給が貰えていれば…と母も言っていました。
人によって伝えたいと思う人、辛い記憶を思い出したくない人それぞれなんでしょうね…。私としてはどちらの話も知ってよかったと思います。
carly
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carly
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〉石狩川に海で難破したアメリカの船の荷物が流れ着き、その中にあった大きなコンビーフをみんなでわけて食べたこと。そしてこんな物を食べているアメリカには勝てないと大人が話していたということ。
〉ルーズベルト大統領が死んだというラジオを聞き、父(私の祖父)が校長を務める学校の職員室に駆け込みルーズベルトが死んだ!と伝えたということ。
〉戦争も終わりごろになると、いい歳をしたおじさん達が招集されていくようになった。絶叫するように「行って参ります!」と敬礼していた人のことをよく覚えている。子供心に怖いのを我慢して大声を出しているのだと分かった。あの人は帰ってきたのだろうか…。子供だったママは覚えていないのよ、と。
carly
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carly
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あまり話したくない感じもあり、深く聞かなかったのですが、詳しく聞いておけばよかったと後悔しています。
carly
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carly
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carly
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少し聞いたのは終戦は広島の山中で聞いたというのと、無事に名古屋に着いた時は嬉しかったというのでした。
亡くなってから写真整理をしていたら祖父が出征する時の写真が出てきて胸が熱くなりました。
私の主人は国防に携わっているのですが、いざとなった時は出ていかなくてはならない人です。
今は戦争もなく平和で災害時に出動するくらいですが、戦争中祖母は祖父をどんな気持ちで送り出したのだろうとふと思う時があります。
carly
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carly
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長崎に原爆が落とされた日も自宅からキノコ雲を見たらしいです。幸いにも爆心地からは少し離れたところに自宅があったので直接の被爆は免れたらしいですが、あの日の強い光と音と衝撃は忘れられないと言っていました。
ものすごい音がして家の近くにあった木に登って様子を見ようとしたらしいです。空が赤く、大きな黒い雲が上っていて「何が起こってるんだ」と恐怖を感じたみたいです。
私自身、ずっと長崎で育ったので小学生の頃から平和学習を受けてきましたし原爆の話はたくさん聞いてきました。
良い話なんて一つも聞きません。辛かった、怖かった、痛かった、不安だった。そんな話しか聞きません。
絶対に繰り返してはいけない歴史ですし、今現在も世界中で起こっている争いがなくなってくれることを切に願います…
carly
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この話を聞いたのは、私が自衛隊へ入隊した後でした。同じ軍隊同士にしか分かり合えないと思っていたようで、自衛隊に入隊した私と兄以外には祖父は一言も戦争の話をしませんでした。
そんな私もアメリカ海兵隊員の夫と結婚し、今は一児の母です。かつては敵国同士で争い、亡き祖父が戦った事を息子に伝えていきたいと思っています。
大切なのは、戦争経験者の話を後世にきちんと伝えて平和の尊さを受け継いでいくことですね。
改めて平和について考えさせられました。ありがとうございました😊
carly
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